たちばなし

会社のスケジューラーを埋めていく、WEB会議の予定。初夏、在宅勤務を始めた頃に比べればお互い上達したよね、「他人の時間の奪い方 on the Web」。遠慮がちだったアポイント、さくっと終わった会議も今は昔、詰め込まれるは長々続くわ。何が変わったのだろう、と。

慣れとともに、ばらばらと入室してくる出席者たち。開会が宣言されるまでのはざま、言葉がふわふわと。

最近、本当に飲まなくなりましたね/ワクチンっていつ頃なんすかね/健康診断の数値がやばいんですよ/今日何人か、数字出てますかね/マスクつけない人、何とかしてくれませんか/隣の部署で、出たらしいですよ

なにも受け取りたくない、受け取って欲しくない。昨日も明日も宙に浮く、同じつぶやき。繰り返される、それはくりごと。

緊急事態宣言、出さないでしょう/出せないでしょう/出さないんですよ

ものわかりの良さ世界一。わかっているから仲間だと、ボクはワタシは一人じゃない、アナタがいるから。

会議を始めます。

あなたは誰ですか——cakes投稿から

ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」(筆者:ばぃちぃ)と題するネットの投稿。差別意識、また他者への敬意の欠落を挙げての批判の一方、観点の新鮮さ、気付きを評価する声も見られる。何より、この投稿が発表されたのはキュレーテッド・メディアとされるcakesであり、その編集部がノンフィクションとして「cakesクリエイターコンテスト優秀賞」を与えて推しているのだ。

一読。「興味」から、支援活動に同行して「取材」を重ねて感じた意外性、「異世界性」の魅力を語り、「生きかたが違うからこそ、相手のやりかたを見て気づけることがきっとたくさんある。そんな期待とワクワクと共に、おじさんたちの訪問を続けている」と結んでいる。——あなた(達)は誰?「取材」って何?

……3年間、支援し続けている、ばぃちぃさんご夫妻。彼らと時間をかけてコミュニケーションをとり、打ち解けていくなかで、ばぃちぃさんは自身の偏見に気づかされ、彼らの生活する力に惹かれていきました。

同様の指摘を受けたのであろう、cakes編集部による補足が付けられている。だが——ますます事態は悪化している。

社会構造に対峙して《支援》にあたる人々からすれば、支援を興味本意の「取材」のために利用したことだけでも深刻な妨害ととられかねない。何より、「自身の偏見に気づかされ」たのならば、その偏見に落とし前をつけずして、「ワクワク」を続けられては、日々自らの偏見と差別に向かい合う人々からすればたまったものではない。

彼彼女らのこの表現が市場価値を持ち得、消費され得るのは偏見、差別と分断という社会課題の存在を前提としているからである。例えば逆に、彼彼女らを対象として、「異世界性」を語ること、「ワクワク」を描くことも(その非礼さを抜きにすれば)可能ではあろうが、cakes編集部にキュレーションされることはあるまい。「特殊な」「異世界」のこちら側、安全で快適なマジョリティの側にあること、その構造を前提とするから、「驚異に満ちた物語」というラベルと読者を持ち得るのだ。

批判自体が消費につながる構図を避け得ぬならば、今はチャンネルをそっと閉じ、せめて人々への敬意と尊厳を守る時か。

「プレッシャー —ノルマンディーの空—」(加藤健一事務所公演)

江古田の町でふと目に留まったポスター。何とはなしに気にかかり予約。

プレッシャー —ノルマンディーの空— 公演ホームページ

久しぶりに訪れる下北沢、本多劇場。小田急の地下化、駅前再開発が進む。訪問者として、駅舎の没個性化にはさほどの関心はないが、コロナを経ても変わらず、人の《暮らし》の息づく街であり続けますように。


検温、手指消毒、静かなロビー。かつての、開演前のワクワク感とは程遠く指定席に収まる。

舞台は第二次世界大戦、ノルマンディー上陸決行予定日を3日後に控えたイギリス側。穏やかな天気が続く中、軍気象チームの責任者スタッグ大佐は作戦当日の天候は大荒れと主張。もし予測が事実となれば、上陸失敗は目に見えている。だがアメリカ軍所属の気象専門官クリック大佐は快晴を予測。決行か延期、中止か。アイゼンハワー率いる連合司令部を覆う圧力の中、必死の観測と予測を続ける気象チームの姿が描かれる。

オリジナルは2014年イギリス初演、デイヴィッド・ヘイグ。質の高い演技と緻密な演出、安心してストーリーを楽しめる舞台。中でも、サマスビー中尉役の加藤忍は難しい役を豊かに造形し、印象に残った。

測候所、気象観測船、偵察機。刻々入電する情報を集計し予兆を見出そうとする努力。その姿に米大統領選挙の開票速報を、あるいはコロナ感染者の計数スクリーンを重ねて見ていたのは私だけではあるまい。科学と政治——むしろ”現象と意思”と呼ぶべきか——この二つが否応なしにせめぎ合い、その真価と在り方を問われて続けている時なればこそ、かつて在った人々の努力を繰り返し物語ることの意義が生まれる。


受け取った上演チラシを眺める。政治、あるいは社会を描く作品の急増に気づく。

2011年、3.11後の街に演劇が戻ってきたとき、その視線は社会ではなく《ワタシ》に——その内面にせよ、あるいはその繋がりにせよ——向かっていた。あの時圧倒的に立ち現れたはずの自然と社会、つまり世界はなお演劇にとって、絵空事であったのだな、と改めて回想する。

今、演劇すなわち《コトバ》に現前する世界はもはや絵空事たり得ず、そこにある脅威であり恐怖であるが故。おびやかされた視線は否応なく《ワタシ》から離れざるを得ない。彷徨う視線、捉える深淵の暗さを垣間見せるチラシの山。

(備忘)国立歴史民俗博物館企画展「性差の日本史」

本展では、まず、政治の行われる空間に着目して、区分の始まりを考えます。人びとを「男」と「女」に二分し異なる役割を定める社会は、古代律令国家の形成とともに形づくられ、家が政治空間の場となった中世・近世、政治の場から女性を完全に排除する近代国家の確立を経て、現代にいたっています。その過程はどのようなものだったのでしょうか。

企画展示|展示のご案内|国立歴史民俗博物館

開催中、12月6日まで。

行ってみたいのだけど、佐倉は遠く…。とりあえず図録で予習中。

御目見得以下の私たち

9月16日、永田町、首相官邸が代替わり。いやむしろ、「したらしい」というのが正直なところ。

官邸ホームページを見る。何を考えているのか、何をしようとしているのか。先代のメッセージがあざとく「やってます」なら、当代の永田町に見えるのは灰色のぬりかべでもあろうか。

おりしも米国は大統領選挙。勝敗はさておき、トランプ、バイデン両氏の主張、メッセージの方がよほど自国の首相よりも情報量が多いことに気づく。さては官邸の主とは我らが御目見得もならず、御簾の向こうの貴人であったのか。


登場して1ヶ月半、私たちへ顔を見せぬままの外遊。帰国後いきなり国会の争点は日本学術会議会員の任命拒否。触れたように、学問以前に思想良心の自由への侵害として、この振る舞いは論外である。当然に批判せねばならず、ここで引けるはずもない。

だが、ある意味でさらに深刻なのはそこに露呈する、彼彼女らのどうしようもない統治センスのなさ、無能さ加減である。彼彼女らは、任命拒否という当然に争点化する(せねばならぬ)行為をまさに今、他に先駆けて行う、と判断し実行した。つまり、私たちの「いま、ここに山積する危機」よりもこの判断を上位に置いたのである。——許されざる作為は表裏一体、私たちの危機を置き去りにした不作為とペアになっているのだ。

従って私は「任命拒否」に手を緩めることなく、併せて「私たちの危機」に不作為を許さない声を上げ続ける——長く細く、両面作戦が始まる。