一石二鳥のその先に

7/30 「宣言の対象地域は拡大されますが、政府の対策は“手詰まり感”に満ちています」(TBS

8/2 「感染が拡大している地域では、中等症でも症状によっては、自宅療養とすることを決めました」 (ANN

8/2 「基本的に入院は中等症以上という仕分けになっている。宿泊療養、ホテル、自宅での療養がより安全になるために指示もしている」 (東京新聞

8/3 「高齢者や基礎疾患がある人が自宅療養となる可能性がある」 (東京新聞

オリンピックの中、突然の「新型コロナ感染者について、重症者以外は入院ではなく、原則自宅「療養」」という菅氏のアナウンス。政府方針の転換、先行きの不透明さへの不安は大きく、それなりに反響を呼んでいる。

そう来るか。脅しに来たのね、と。

オリンピックによる高揚感も限定的、おそらくは支持率も上昇せず、他方で緊急事態宣言による行動変容効果も出ない。八方塞がりの中で、

  • 医療リソースの逼迫状況を追認
  • 将来のケア打ち切りをアナウンス

つまり公助責任を否認・精算するとともに、私たちの危機感を煽り、自助的な行動変容を引き起こす。言うなれば一石二鳥。

そう考えれば、普段にも増して荒っぽく、人の神経を逆撫でする彼彼女らのステートメントの理由も腑に落ちる。説明し納得させたいのではなく、「このままでは殺される」、と感じて自衛に走る人が増えれば増えるほど効果的なのだ。

もちろん、私たちの行動変容の結果として流行レベルが下がれば、「政府のリーダーシップにより状況が改善した」と臆面もなく嘯いてまわる、ところまでがもれなくセットになっている。

だが仮に思惑通りに流行が収束せず、さらに悲惨な状況となればどうなるか。その時即ちカタストロフィーの中、ショック・ドクトリンが横行することは悪夢ではなく、もはや理性的な予知の範疇にある。

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう